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幸運にも、ここまで来れたのは・・Part2

 

皆さん、こんにちは。

 

理事の橋本です。

 

4月18日のブログで「幸運にも、ここまで来れたのは・・」というタイトルでブログを書きました。

 

これから、自分のジムを持って独立を目指す方に向けて「私の実体験が少しでも参考になれば」という思いで。

 

その時に書いた内容は「自分と得意分野やキャラが異なるパートナーと一緒にやってこれた」こと。

 

これが、私が14年やってこれた一番大きな要因と思い、紹介させていただきました。

 

今日はその続き、Part2です。

 

運よく14年間やってこれた理由。

 

その2つ目に思い浮かんだのは・・・・・・27歳の時に訪れた「営業部門」への配属、そこでの経験です。

 

私は19歳で、神奈川県内の総合型スポーツクラブに就職をしました。

 

総合型と言っても、ジュニアスイミングが中心のクラブです。

 

19歳からずっとスイミングのコーチ、いわゆる先生をやってきました。

 

競泳指導に夢中になり、20代中盤あたりからそれなりの成果も出てきた矢先の異動でした。

 

もちろん納得はいきません。

 

そのタイミングで、いくつかのクラブからもお誘いをいただきましたが、その時何故か「きちんと増収増益という結果を残して退職しよう」と、とりあえず残留する決意をしました。

 

スーツの着方から覚え、教えてくれる上司も、会社に蓄積されたノウハウも0からのスタート。

 

自分で試行錯誤しながら、業界の先輩方に指導を受けながら、とにかく何らかの形で売上を立てること、そしてその中で何とかやりくりをして利益を残すことを、20代から実践・経験できたことが今の私の土台となっています。

 

そして、これを続けて行った先で出会ったのが、今の当社の中心事業の一つであるPPP事業です。

 

嫌々始めた仕事ですが、今では「こちらの方が向いている」ことがはっきり分かります。

 

あのまま、先生一直線の仕事をしていたら今の私は無いし、持っていた可能性も閉じたままでした。

 

「指導だけに偏らず、20代からビジネス思考を持てた事」

 

これが私の2つ目の幸運です。

 

そう考えると、当時「強制異動」させてくれたボスには感謝しないとですね。

 

 

最後に、当協会の研修システムでは、この部分(集客・クラブ経営等々)を辰田理事がカバーしてくれています。

 

指導のだけに偏らず、是非バランスよく学んでみてください。

 

このテーマでのブログはもう少し書けそうです。

 

次回はPart3。