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偉人が指摘する「智の弊害」とは何か

 

こんにちは。代表理事の遠藤です。

 

今週は日本身体管理学協会の講座、およびスモールジム協会の研修講座の撮影がありました。

 

スモールジム協会に加盟いただいている方々を中心に講座を受講できるようにしたのですが、参加された方々の複数名から以下のような声をいただきました。

 

「改めて原田さんの知識の幅には驚くばかりでした」

 

「いつまでも聴いていられる講義でした」

 

この2つは極めて本質的な声だと私は思います。

 

ちなみに感想を述べているのは、いずれも国家資格保持者です。

 

知識のない一般人の方々ではありません。

 

実はこの国家資格保持者の方のコミュニティで以下のような論争があったそうです。

 

ざっくり書きますが、コミュニティ内の権威的な立場の人(所謂、先生)が「病気に薬は不要だ」という主張をしたそうです。

 

権威追従主義で視野が狭い多くの専門家はその主張に同意したようですが、その中の一人が「それは偏っているのではないか」と反論したそうです。

 

それに対し大先生は感情的に反論し、結果その話は物別れに終わったそうです。

 

世間一般で見られる代表的な事例です。

 

こういう人の話は「自分の正しいという思い込み」に満ちており不快です。

 

だから「いつまでも聞いていられない」ということになるのです。

 

このような制限論や禁止論の大半は知識に幅がないことによって起きる稚拙なものです。

 

ちょうど今日、配信したFBL大学の講座(FBLのための論語)でも「智の弊害」というものを取り上げたところでした。

 

勉強熱心は結構なことですが、中庸を外すと以下のような弊害が起きるという指摘です。

 

・理論一方

・複雑極まりなき人生の一切を持論で解釈

・物事に角が立つ

・物事が渋滞する

 

ちなみに私ではなく歴史上の偉人が言っていることです。

 

そしてそのような智を以下と言うとのこと。

 

・邪知

・奸智

・猾智

 

納得しかありません。

 

専門家を名乗る人は深く深くかみしめるべきだと思います。