ある経営者の腹の中

 

理事の辰田です。

 

今日は自分の声を聞いていますか?という話です。スピリチュアル系みたいですがそんなつもりはありませんので悪しからず。

 

僕自身は自分の声が聞こえた瞬間がいくつもあります。

 

大学に進学しようと決心した時

都市部への転勤を申し出た時

 

独立しようと決めた時

 

いずれも大小あれど当時の僕の中で人生の岐路でした。

無意識のうちに自分を縛っていた価値観や思い込みに気づいてそれを手放して、自分の価値観に従って選択する、生きていくことを決めた瞬間はいつも自分の声がどこかから聞こえた気がします。

 

しかしこれは人からの問いに自分の頭で考えて感じたことでもあるのです。そういう意味では人に頼りっぱなしの人生です。

 

「お前は何を感じるんだ」BY両親

「お前はどう考えるんだ」BY古屋編集長

「お前は何が好きなんだ」BY奥さん

 

これらの問いにいまだ答えは持ち合わせていません。しかしその問いは常に内面の自分との対話材料になっています。

 

とはいえ、答え探しではなく「問いを持ち続けること」が必要だと思っています。

それが尽きることのない探求心や好奇心の源泉となり成長ホルモンを分泌させて僕の突破力を養います。

 

今はもう会社員ではないので基本的に精神的にも時間的にも自由を手に入れていると言えますが、その自由と引き換え()にこの「問い」が常に、無限に、強烈に、僕の心に同居しています。

 

この「問い」は僕が会社というシステムに頼って生きていた時はあまりありませんでした。完全に思考停止状態です。システムの中にいればその枠の中でしか行動できなくなります。一部の心ない人はそのシステムの外に出られないという自分へのダメ意識()への埋め合わせとしてシステムの外に出ようとする人を引き留め、離れたらそれを執拗にたたく。

 

それはそれでその人たちにとっては安心材料なので否定するわけではないですが、そこの居心地がちょうどいい人は、その「問い」と向き合い続けることに耐えられないかもしれません。

 

「問いを問いとして抱え続ける心理的なタフさ」は経営者には必須条件です。

今の僕にとっての「問い」は生きる原動力になっています。

 

だとすれば、この答えのない世界で僕が果たすべき役割は、フィットネス業界の皆さんに人生に一生消えない「問い」を残すことではないだろうかと思う今日この頃です。

 

それではまた来週。