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機能的価値と情緒的価値の塩梅

 

みなさん、こんにちは。理事の才木です。

 

連日、各メディアでは、コロナ感染拡大に伴う感染者数やまん延防止等重点措置の要請についての報道ばかりですが、映像を見ても、

マスクつけてる派、つけない派、気にしない派と気にする派の意見を映し出しているだけのようです。

 

ごく一部の取材で全部がわかったような結論づけに、一喜一憂おびえたりホッとしたり、日々を振り回されている人も大勢いると思います。

 

長崎も感染者数は数人でるかでないかが現状ですが、先日もこの認識の違いから、コロナ禍による退会者が久しぶりに出てしまいました。

 

退会されたのは、万が一・・・感染したら、会社に行けなくなる、職を失う、生活にも支障が出るという、一連の危惧から、常に神経がピリピリされながらも、これまでは重装備でのご参加をされている方でした。

 

しかし、今回ちょっとしたすれ違いで、ご予約をされていないお客様がうっかり参加されており、定員を1名オーバーした状態になっていました。そのため、レッスンの途中からいてもたってもいられずにお帰りになられてしまいました。

 

もちろん、3密回避対策、換気、消毒など徹底しておりましたが、その方にとっては、危険と感じる場所に捉えられたのでしょう。

 

ちょうど1年前のフィットネスクラブの感染からのイメージがいまだに深く残っており、最初の印象はなかなか払拭できないようです。

 

当事者にとっては脅威の場所に行くというのは、命がけの相当覚悟が必要だったでしょうが、そうまでしながらこれまで来ていただいていたのは、私達が提供するレッスンプログラムのファンだったこと、「ヒト」のファンではなく「モノ」のファンだったことを理解しました。

 

そこで改めて考えてみたのが、機能的価値と情緒的価値の2つの価値を提供することを目標にしていても、情緒的価値をさほど求めていない、重視していない方もいらっしゃるということでした。

 

「やりたいことが(安心して)できないなら、やめる!」・・・ごもっとも。

 

とてもシンプルな回答でしたが、まさに機能的な部分を求めていらっしゃたのがわかりました。

 

人にはそれぞれ目標や考えの違いがありますから、求めるものも違ってくるのは当然でしょう。

 

赤ワインが好きな人もいれば、白ワインが好きな人もいる。料理や気分に合わせてどちらも好きな人もいるという具合に。

 

どちらにしても、提供する側は、その2つの割合を見極めながら程よい距離感を保ち、動物的感(笑)を働かせながら、その方に見合った

割合の情緒的価値と機能的価値を空気感で提供していきたいなとを感じました。

 

どちらの価値も一方的な押し売りになったら、ただの自己満足にしかすぎませんからね。